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薬局と政治

2022.08.25

2022年7月の参議院選挙では、薬剤師連盟推薦の比例候補が当選を果たした。「薬剤師の仕事は政治と切り離すことができない」と言われるが、まだ日の浅いタイミングでこそ、この言葉の意味を改めて考えてみたい。

1.「政治」とは何なのだろうか?

非拘束名簿式比例代表制では、主に政党への忠誠心が可視化されているといってよさそうだ。忠誠心とは、身分を保証してもらう代わりに、意にそぐわない政策であっても忠実に従うことを事前に宣言するということだ。だからこそ、候補者の身分だけが問題で長期的な職能の展望や具体的な政策といった中身が吟味されることはない。選挙に関する行動という文脈で「政治」が指すものは、「忠誠心を競うこと」だ。

2.「切り離すことができない」とは何を意味しているのか?

小泉内閣以降の政権では、「改革」という旗印のもとで財務省や内閣府直属の諮問会議の発言力が厚生労働省のような官庁よりも強力になり、意思決定の上流に位置している。彼らは社会保障を「政治から切り離そう」とする。もしそれが国民を危険にさらしかねないと主張するのであれば、「切り離さないコスト」は質的にどのようなものであるべきか、量的にどの程度であるべきかを示すべきだ、というのが彼らの主張だ。このような議論を回避するための「投資」が「政治と切り離すことができない」の本質だろう。

しかし筆者の知る限りでは、薬系の議員が財務省や内閣府の民間委員と意見交換し、彼らの主張に影響を与えたという事例を聞いたことがない。内輪の厚生労働省の中だけで活動していても、外側の意思決定に影響をおよぼすことはできない。

丸山眞男は、組織には「ササラ型」と「タコツボ型」とがあると指摘した。ササラとは抹茶を混ぜる茶筅のようなもので、竹筒の一方だけを細かく裂いた掃除用具だ。

19世紀の100年間を通じて、ヨーロッパの学問はヘーゲルに代表される総合的な体系から諸々の学問へと細分化していき、学問としての基盤を共有するササラ型の発展を遂げた。一方、明治以後の日本はすでに細分化した学問をそのまま輸入したために、タコツボ型の学問になった。たとえば我が国の薬学の場合、政治学や社会学、経済学といった社会科学や、社会や文化そのものと共有できる根幹を欠いている。こうなると、内輪でしか通じない言葉を用い、情報が限定されるために現実とイメージとの乖離が拡大していく。

丸山は、このようなタコツボ型組織に対して次のように警告している:

「その組織の中にいる人は自分達のイメージに頼り、自分たちの間で自明のこととして[中略]通用する言葉に頼って安心していると、ある朝目ざめてみるとまわりの風景はすっかり変わっているということになりかねないのであります。」(丸山眞男「日本の思想」岩波新書p.165)

タコツボの中での「政治」に終始することで、逆に政治から「切り離される」可能性を直視すべきではないだろうか。

3.政治に何を求めるのか?

手前味噌になるが、筆者たちのグループでは、財務省OBなどから構成される民間の研究会に薬局経営者の代表を送り、「薬局を活用することの財政効果」について講義したことがある。この際、WEBを媒体にした簡易的なものではあるが、生活習慣病の患者に対して「診察までの待ち時間(診察を受けないという選択肢を含む)」や「同じ処方を何回繰り返してもらっているか」といったアンケートを行い、エビデンスとして提供した。残念ながら継続的な関係構築にはいたらなかったが、政治については盤面を広く見るべきだというのが筆者の主張だ。

封建制度のような「忠誠心で政治」という時代ではもはやないだろう。むしろ「薬剤師をどう使うか」というタコツボの外でなされる議論に対して「自分たちはどう使ってもらいたいか」を明確に政治家や官僚、民間議員に対してインプットし、共有する努力を継続することが必要だ。

薬事政策研究所 代表 田代健